濱田 智崇さん

(京都橘大学総合心理学部准教授、臨床心理士・公認心理師)
平成7(1995)年、日本初の男性相談『男』悩みのホットラインを開設し、各地の自治体での男性相談事業にも携わる。平成23(2011)年~男性専用のカウンセリングオフィス天満橋代表。平成31(2019)年~一般社団法人日本男性相談フォーラム理事。主著書『男性は何をどう悩むのか-男性専用相談窓口から見る心理と支援』(平成30(2018)年 ミネルヴァ書房)

「暴力」の起源と現れ方

 11月25日は「女性に対する暴力撤廃の国際デー」です。この機会に一度「暴力」そのものについて、考えてみたいと思います。精神分析学の中には、暴力を「自己保存的暴力」と「サド・マゾ的暴力」に分ける考え方があります。このうち「自己保存的暴力」はもともと動物が生死にかかわるような危険を感じたときに、自分の身を守る防衛反応として生じるものです。脳の深部にある「扁桃体」が危険への警報を出すという動物的な反応が元になっています。人間は、大脳が発達しているため、扁桃体から出された警報をそのまま行動に移すのではなく、大脳の「前頭前野」で、本当に警報として対応すべきものかどうか判断して、実際に発現させる行動をコントロールすることができます。このコントロールが、何らかの要因でうまくいかなくなると、いわゆる「カッとなる」タイプの「瞬間湯沸かし器のような」暴力につながると考えられます。 

 一方で「サド・マゾ的暴力」は相手をコントロールし、苦痛を与えること自体が目的の暴力のことです。そこには、相手を支配することによって自分を守ろうとする心の力に加えて、相手とかかわりたいという欲求が含まれます。そのかかわり方自体、言うまでもなく不適切なのですが、支配欲が満たされることで、脳に快をもたらす状況にもなり得ます。いわゆるモラハラは、このタイプの暴力の一種と言えるでしょう。

暴力と男らしさの刷り込み

 最近ようやく、DVや性暴力において、男性も被害者になり得ることが、社会的に認知され始めました。「男性=加害者」という見方が誤りであることは明らかです。(図1)ただ、男性の方が女性よりも、加害者になってしまう傾向がより強いとしたら、それは、成育過程で暴力を「学び」やすい社会的環境があったからではないかと、私は考えています。

  動物の脳内で、何らかの脅威を察知した時に、自分を守るための警報として発せられるもの、それを人間は恐れや怒りの感情として捉えるわけですが、こうしたことは性別を問わず、誰にでも発生しているはずです。しかしそれを暴力として発現させてしまうと、問題になります。男性は、この警報について、「怒りとして捉え暴力として発現させる」というプロセスで処理することを、経験的に学んでしまっている場合があると考えられます。

  たとえば、昭和から平成初期くらいまでに学校へ通った年代の方は、特に男性が、厳しすぎる指導を受けたり、時には体罰を受けたりした(またはそれを見聞きした)経験があるのではないでしょうか。そうした環境で育った男性は、他者を自分に従わせるのに有効な手段として暴力を「学び」ます。そして自分自身も「強くなければならない」と社会からプレッシャーをかけ続けられます。つまり、何らかの脅威を感じたら、即反撃に転じて、暴力的に対抗するやり方を「正しい男性」のありようとして、社会から推奨されて育つことになります。脅威を感じたときに「怖い」と逃げるのは「弱いやつのすること」であって「男らしくない」ため、許されないのです。

 この文脈から、男性が暴力的に振る舞うことを「仕方がない」とあきらめたり正当化したりするつもりは、もちろんありません。しかしながら、暴力問題の解決をめざすには、男性が成長過程で刷り込まれてきた、男らしさの強固な縛りについても、考える必要があるのではないでしょうか。

2025年11月号 コンテンツ

P.2-3

P.4

P.5

P.5

P.6

P.7

P.8-9

P.10-11

表紙

発行:大阪市市民局ダイバーシティ推進室男女共同参画課 編集:大阪市立男女共同参画センター中央館
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