続く少子化出生数80万人割れその先にあるもの
厚生労働省が令和4年に生まれた子どもの数は79万9728人(速報)と発表し、7年連続で過去最少を更新しました。これは、推計よりも約10年早く少子化が進行している数字です。少子化の現状やその原因について、データを交えながら解説します。
平成元年の合計特殊出生率(※)が1.57となったことが日本の少子化の1回目のショックでした(図1)。当時の国会では人口減少への危機感が高まり、児童手当の拡充やエンゼルプランという子育て支援の政策が始まりました。しかし、児童手当給付の金額も給付期間も欧州ほど思い切った給付となりませんでした。時期を同じくして、育児介護休業が男女対象となりました。ただ、今日に至るまで育児休業を取得しているのは、男性よりも圧倒的に女性が中心です。その後、1990年代後半から日本経済の長い不況期とも重なり、教育費の負担をはじめ子育て世代の経済的な負担が大きい状況が続きました。(※)合計特殊出生率 一人の女性が一生の間に産むとしたときの子どもの人数に相当する人口統計上の指標のこと。
令和4年の出生数が80万人以下になることは、令和4年末から話題となってきました。令和5年度の国の予算審議において少子化対策予算が大きな論点となったことは、出生数が80万人以下となったことと関係しています。これまでの想定を上回る出生数の減少は未来の日本の労働力人口が減少することを意味します。それは国民総生産など社会経済活動の縮小をもたらします。また働き手の減少は税金や社会保険料を負担する国民の減少でもあります。現在の社会保障制度の負担と給付の制度に変更をせまることになるでしょう。 こうした少子化の傾向は日本に限りません。先進工業国では1980年代から共通の現象でした。そのため欧州では少子化傾向に対するさまざまな政策が行われてきました。例えば、子どもに対する国の現金給付の充実や保育サービスの整備です。また、女性だけでなく男性が育児を担当できるように仕事の休業制度を積極的に整備しています。さらに、子育てする男女に対して短時間勤務など働きやすい条件も1990年代から整えていきました。このような政策の成果は平成12年以降、北欧諸国やフランスなどを中心に出生率の下げ止まりとして一定の成果がでています。
昭和46年から49年の第2次ベビーブームでは、年間200万人もの出生数がありました。その世代が20代後半から30代となる、1990年代後半から2010年代には、図1でわかるように、出生数が増加することはなく1970年代以降、出生数はなだらかに減少傾向にあります。 合計特殊出生率も同様に減少し、横ばい傾向です。第2次ベビーブームでは2.14でしたが、平成17年には、これまでの最低の1.26となりました。その後わずかに上昇しましたが、再び低下の傾向となっています。
出生数の減少や合計特殊出生率の低下の原因はいくつか考えられます。最も指摘されているのは、結婚しない人の増加、つまり、未婚率の上昇です(図2)。未婚率を年齢別にみると、令和2年の未婚率は30~34歳では、男性はおよそ2人に1人(47.4%)、女性はおよそ3人に1人(35.2%)が未婚であり、35~39歳では、男性はおよそ3人に1人(34.5%)、女性はおよそ4人に1人(23.6%)となっています。 また、結婚する年齢の上昇、つまり晩婚化も少子化の要因として指摘されています。晩婚化にともない、初産年齢も高くなります。その結果、出産可能な期間は短くなり、出生数も少なくならざるをえません。実際、昭和50年の出産年齢のピークは25歳でしたが、令和2年の出産年齢のピークは31歳となっており、ピークの年齢は高くなる一方、当該年齢の出生率は低下しています(図3)。逆に20代の出生率は大きく下がり、30代、40代の出生率は上昇したこともみてとれます。
女性は、仕事のキャリアを継続しようとしたときに、結婚や出産のタイミングを選択することが求められます。男性が多くの場合仕事を中心に考えることが可能であるのと対照的です。また、経済不況の中で共働き世帯も増えています。仕事と育児の両立が難しい社会であれば、仕事と育児の二者択一が迫られるために出生率も働く人の割合も低くなってしまいます。こうした男女の働き方が出生数にも影響しているのです。 一方、男女ともに両立が可能な社会であれば、出産や子育てを選びやすくなることでしょう。令和4年の出生数80万人以下という数字には、男女の働き方やワーク・ライフ・バランスなどの男女共同参画課題が関わっているといえるでしょう。
発行:大阪市市民局ダイバーシティ推進室男女共同参画課 編集:大阪市立男女共同参画センター中央館指定管理者:大阪市男女共同参画推進事業体 (代表者:(一財)大阪男女いきいき財団) クレオ大阪ホームページ