新型コロナウイルス感染が収束せず、五輪開催の是非について世論が大きく揺れる中、1年延期となった『復興五輪』の聖火リレーが今年の3月25日に福島県から開始された。福島県浜通り(太平洋沿岸部)にあるスタート地点の「Jヴィレッジ」(楢葉町・広野町)から北にある大熊町・双葉町・浪江町・富岡町の帰還困難区域では、10年経過した現在でも立ち入りを制限するバリケードがあり、復興を阻んでいる。福島を走ったランナーたちは、福島の復興への様々な複雑な思いを胸に秘めて走ったのだと思う。 これまでの「福島の手紙」では、主に農業を基にした経済的自立や生きがいづくりをめざして奮闘してきた女性たちを紹介してきた。今回の手紙では、東日本大震災の被災支援活動がきっかけで新潟県から福島に移住され、その後も復興活動の中間支援や直接支援を行い、当センター事業にも何度もご助力いただいている北村育美さんに「10年が経った福島」についてお話ししていただこうと思う。(福島県男女共生センター館長 千葉 悦子さん)
福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
客員研究員北村 育美さん
新潟県中越地震で自宅が被災したことから災害復興・救援活動に取り組む。東日本大震災で福島県内の大規模避難所に支援に入ったことをきっかけに翌年移住。現在も復興に関わる活動・研究を行う。
東日本大震災から10年。直接被災した地域だけではなく、公共交通機関が止まっての帰宅困難、計画停電など、日本全体が被災したともいえる大きな震災だった。 東日本大震災時、私は新潟県長岡市で中越地震・中越沖地震からの復興やまちづくり、防災などの活動を行う団体に所属していた。震災直後は福島県南相馬市から避難してきた住民のための避難所での支援を行っていたが、福島県内の避難所が大変な状況だという応援要請を受け、2011年4月17日福島県郡山市の避難所に入った。 そこは主に富岡町・川内村の住民2,500人以上が避難している大規模避難所で、避難スペースが十分に確保できず、人が所狭しといる状態だった。また、人々の顔には表情がなく、やることもなかった。原発事故でふるさとから離れ、しばらくは帰れないかもしれないという状況もわかってきた頃だった。避難所内の掲示板には 「○○避難所にいるので連絡をください」などの緊迫したメモがびっしりと貼られていた。 震災によってバラバラになり、今も会えない家族や友人。その安否を気遣うものばかりだった。そのような多数のメモの脇に、桜並木を拡大した写真が貼られていた。そして、それを見て涙を流している人がいた。その桜並木は、富岡町の桜で全長2.2キロ続く町民の誇りだった。避難してだれもいないところで咲く桜。それを見て多くの人がふるさとを思い、悲しんでいた。
個々の生活再建と移住者の取り組み
あれから10年が経過した。まち全体が避難指示となり、避難を余儀なくされていた状況が続いていたが、除染と時間の経過から放射線量は低下し、段階的に避難指示は解除されてきている。もう何年もふるさとには戻れないという状況から、帰れる状況になった。いざ帰れることになるとその家族の経済状況や、子どもの学校、放射線に関する考え方などで、帰るか帰らないかは変わってくる。原発事故後の生活には選択を迫られる場面がたくさんある。 一方で、県外から福島に移住して活動を始めた人がいる。まちを盛り上げようとする人、行政の一員として働く人、農業を始めた人など様々である。被災した牛による農地保全の活動を大熊町で始めた女性がいる。谷咲月さんだ。震災直後、警戒区域となった放射線量が高い地域で飼育されていた乳牛や和牛は殺処分されたが、殺処分を逃れ生き延びた牛たちもいた。谷さんは、その牛たちを集めて飼い、牛が草を食べることで農地を保全する取り組みを行っている。牛たちのおかげで震災後草や木に覆われていた荒地がきれいに蘇っている。谷さんは、牛たちをどうすることもできなかった農家の悲痛な声を聞き、移住し生き延びた牛たちを飼い続けている。
ふるさとに戻り生活している人や、その新しい取り組みが紹介されることが多いが、避難指示が解除され数年の地域で生活する住民はまだ少ない。ふるさとに戻って生活する人、ふるさとを離れて暮らす人、どちらの判断も尊重されるべきである。そして、今もその判断が正しかったのか答えのない問いに思い悩んでいる人は多くいる。 先日とあるシンポジウムで、まちに戻って生活している人と移住者を登壇者として選んだところ、帰還促進に取られかねないという意見が出た。もちろんそのような目的ではなく、まちの現状を伝えたかった。それほど戻る・戻らないという話はセンシティブなことでその根源は原発事故であり、その難しさを改めて気づかされた出来事であった。 東日本大震災で福島県は、地震、津波、原発事故という大きな被害に見舞われた。こんなに大変な災害にあっても、ふるさとに戻った人、離れて生活している人、どちらもたくさんの選択があり、生活を切り開いてきて今がある。人間の持つ力強さや回復力を感じる。しかし、震災による環境の変化などで体や心のバランスを崩している人、ふるさとへの思いを抱えながら避難先で亡くなった人もいる。
福島のこと、東北のことを忘れないでとは言わない。だけれども、現状を知ることで心を寄せることができると思う。そして原発のことは福島のことだけではない。自分の地域や日本のこれからを見直す、それぞれの人の震災10年としてほしい。 今年も富岡町の桜はきれいに咲いた。ここ数年、人々が桜の下を歩くことができるようになった。桜はこのまちの復興と変化をこれからも見守り続けるだろう
~福島からの発信の継続~これまでも大阪市立男女共同参画センターからは、この手紙や講演会などで、たくさんの発信の機会をいただき大変感謝している。10年が経ち、福島の現状を伝えることはさらに重要になってくる。コロナ禍の副産物と言えるリモート環境が整備されたいま、大阪市を始め全国のセンターと連携させていただいて「福島」を発信し続けたいと考えているので今後ともよろしくお願いしたい。(千葉さん)
情報誌クレオでは、2011年東日本大震災からの復興への活動と福島県男女共生センターの取り組みをこれまで掲載してきました。第1回〜第3回は下記からご覧いただけます。
福島からの手紙【1】
福島からの手紙【2】
福島からの手紙【3】
(会場受講&オンライン)
6月27日(日) 10:30~12:30●対象 テーマに関心のある方●定員 20名、オンライン20名(申込先着順)●登壇者 千葉 悦子さん(福島県男女共生センター館長)北村 育美さん(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員研究員)石井 絹江さん(石井農園代表)
1歳~就学前 申込締切6/17
ネット申込
いずれかの方法でお申し込みください。
■大阪市内在住・在学・在勤の方が対象です。(その他の対象は各セミナーの詳細をご覧ください)■一時保育を希望される方は、事前申込が必要ですので、子どもの名前(ふりがな)・生年月(西暦○年○月生まれ)をお知らせください。保育人数には定員があります。
発行:大阪市市民局ダイバーシティ推進室男女共同参画課 編集:大阪市立男女共同参画センター中央館指定管理者:大阪市男女共同参画推進事業体 (代表者:(一財)大阪男女いきいき財団) クレオ大阪ホームページ