生活評論家で、元大阪市女性協会副理事長、元クレオ大阪北(大阪市立女性いきいきセンター北部館)館長の三輪昌子(みわ・まさこ)さんが、2024年6月16日に享年91歳で永眠されました。
心よりの感謝と哀悼の意を表して、謹んで、ここにご功績の一部を紹介させていただきます。
三輪さんは1955年に毎日新聞大阪本社に女性で初めて採用されました。面接で「結婚しないだろうね」と念を押されるような時代だったそうです。
しかし、1年後に結婚し、4年後には出産して働き続けられました。
その後、1970年に退職され、地域の公民館等で消費者問題に関わりながら生活評論家として活動されます。
1977年には大阪市が有識者と共に「大阪市婦人問題懇話会」を設立し、三輪さんは委員として関わります。88年には、現在のクレオ大阪・大阪市立男女共同参画センターにつながる大阪市立女性いきいきセンター構想委員会の委員長としてセンター設置の基本構想をまとめられました。
この構想の趣旨には、こう書かれています。
「全ての女性がいきいきとした日々を持ち得、その人生を生きがいあるものとするために、総合的な施策を推進する『女性いきいきセンター(仮称)』の設置が望まれる。
同時にこの女性いきいきセンターは男女が共に生きる礎ともなるものである。」
三輪さんは、まさしく大阪市の女性施策をけん引されたのですが、当初から「男女が共に」というダイバーシティの観点も不可欠とした構想をたてられました。
そして、1993年、女性いきいきセンターを拠点として女性の社会参加と自立の促進、女性問題の解決、女性の地位向上に資する多様な活動を展開するための財団法人大阪市女性協会が設立されました。
当財団の初代理事長は大阪市助役が就任されましたが、三輪さんは、初代副理事長として、財団の設立にご尽力をいただきました。さらに、女性いきいきセンター北部館(クレオ大阪北)の初代館長に就任されました。
同センターの広報誌創刊号で、巻頭のことばをこのように述べられています。
クレオ大阪は、女たちの「元気」を応援する施設です。女たちみんなが「元気」になるには、それぞれが「固有名詞」を持った存在として、社会に関わりながら生きていくことが大事です。そのためには、男女が平等・対等な立場で、共に社会を担っていくことを納得し、行動につないでいく必要があります。ところで、男たちは元気でしょうか。どちらかだけ元気なのは、ホンマモンではありません。女と男とを隔てている壁はもちろん、同性の間にもどうかすると存在しがちな壁を取り除いて、健やかな日々を手に入れようではありませんか。
【画像:大阪市女性協会10周年記念冊子への寄稿】
三輪さんが語られたことは、30年経た今でも、実現すべき課題として、残念ながら変わっていません。
しかし、三輪さんをはじめ、男女共同参画や女性の地位向上、ジェンダー平等に貢献をされた女性たちのおかげで、私たちの今があることも事実です。
財団では、このような先輩に学び次世代に引き継ぐ企画として、財団設立30周年を記念して、アーカイブ「OSAKAウーマン」の冊子と動画を制作しました。
三輪さんから今、メッセージを聞きたいとの思いが根底にありました。
2022年12月、取材にあたった財団スタッフは、道を切り開いてこられた三輪さんの挑戦する姿勢や情熱、かつチャーミングなお人柄に魅了されました。とても楽しく、エンパワーされる時間をご一緒できたことは私たちの宝物です。
このアーカイブで語られたことばを、三輪さんから今を生きる私たちへのメッセージとして、ここにお届けいたします。
私は野次馬根性が旺盛で(笑)。今も月1回、仲間と集まってジェンダーを中心に話し合っています。私たちの時代にはLGBTQという言葉はなかったけれど、性別にかかわらず生きやすい社会を作ろうという共同参画の理念に、LGBTQは含まれます。
また、誰もが暮らしやすい社会とは、戦争のない持続可能な世界と考えれば、SDGsも自分事と腑に落ちます。
相手の喜びや悲しみを思いやる想像(イマジネーション)は人権の礎、そして文化、文明や社会をより良くしたいという創造(クリエイト)、ふたつの「ソウゾウ」が大切です。暮らしの文化を大切にすることが性を超えた生きやすい世の中につながっていきます。
◆アーカイブ「OSAKAウーマン」より